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実は猫好きだった伊達政宗

2025年09月19日

伊達政宗は、「独眼竜」という異名があるほかに、「筆まめ戦国大名」や「筆武将」とも呼ばれ、直筆の手紙は、現存するものだけでも1000通を超えます。数ある手紙の中に、猫に触れたものが1通だけ、島根県立古代出雲歴史博物館に残されています。それは、江戸幕府と政宗との連絡係を務めていた幕臣・野々村四郎右衛門(ののむらしろうえもん)に出された、子猫をもらったことに対する礼状でした。そんな手紙が残っているとは……。
そこで本記事では、手紙の中で政宗が贈られた猫をべた褒めしていることや、猫を贈った野々村の逸話、島根県の博物館が政宗の手紙を所蔵する理由などをご紹介したいと思います。

手紙で猫の「男ぶり」をべた褒め

政宗本人が連絡係の野々村に宛てた手紙には、猫をもらった喜びと感謝がつづられています。その内容は、次のとおりです。

「猫の子をお忘れにならずにお贈りいただきました。まず、男ぶりがなんとまあ、見事です。家来から、自分の体よりも大きいネズミを組み討ちに仕留めた、と聞きました。ますます大事に飼おうと思います。首輪もおしゃれで、一段と華やかです。直接お会いしてお礼を申し上げたいと思います」

手紙の内容から、政宗のほうから所望した猫であることが分かります。
猛将というイメージがある政宗も、「男ぶり(顔つき)がりりしい」と、猫をべた褒めです。
また、政宗は、猫が着けている首輪のことまで褒めています。猫をもらって、よほどうれしかったことが伝わってきます。
“イケメン”の猫を抱いてにやけている独眼竜。この手紙からは、私たちが思い描く政宗像とはほど遠い一面が見えてきます。

老いてもなお盛んだった? 政宗

手紙に書かれた「組み討ちに仕留めた」とは、見事に捕まえたという意味です。まるで、戦場で敵方の兵士を討ち取ったかのように表現しています。
この表現について、歴史作家の桐野作人(きりのさくじん)氏は、近著『猫の日本史 : 猫と日本人がつむいだ千年のものがたり』の中で、「政宗がまだ戦国の気風を濃厚に残していることを感じさせる」と述べています。
手紙の内容からは、雄の子猫という以外に、どのような種類、色・柄の猫だったかは分からないのが残念です。しかしながら、自分の体よりも大きいネズミにもひるまず捕らえてしまうほどですから、勇ましくて強い雄猫だったと考えられます。

手紙には年月日の記載はなく、いつ書かれたのかは不明です。島根県立古代出雲歴史博物館によれば、使用時期によって形態が変わる「花押(かおう)」と呼ばれる署名の形態から推測して、政宗が50歳を過ぎ、大坂の陣(1614年~1615年)も終わった1620年~1621年ごろに書かれたものではないかとのことです。戦乱が終わった後、老いてもなお、政宗は戦国武将としての気質を持ち続けていたのでしょう。けれども、平穏な世の中では、政宗も武勇を持て余して、平凡な暮らしをしていたのかもしれません。そうしたこともあって、“武将モード”のスイッチが入り、「組み討ちに仕留めた」という表現がつい出てしまったのではないでしょうか。

家康に切られそうになった、猫の贈り主

ところで、政宗に猫を贈った野々村四郎右衛門とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
野々村四郎右衛門は、江戸幕府の旗本であって、幕府と伊達家との取次(連絡係)を務めていた人物です。政宗は参勤交代により江戸にある屋敷にたびたび滞在したことから、野々村は、政宗とは個人的に親しい間柄でした。

手紙の中で政宗は、野々村に「直接お会いしてお礼を申し上げたいと思います」と、最大限の感謝の意を表しています。当時、幕府と連絡を取る際、大名自身が直接、連絡係の幕臣と言葉を交わすことはほとんどなく、通常は伝達役の家来が対応していたといいます。それだけに、あの伊達政宗が、猫を贈ってもらったことに対して、直接会ってお礼したいくらい感謝するとは驚きです。

野々村四郎右衛門には、面白い逸話があります。
野々村は、1600年の関ケ原の戦いに、徳川家康の近臣として参戦していました。戦場での経験があまりなかった野々村は、あろうことか、自分の馬を家康の馬にぶつけてしまいます。怒った家康は、刀を抜いて切り払ったため、これに驚いた野々村は、その場から走り去ってしまいました。軽率で不注意な振る舞いをしでかした野々村でしたが、その後、不思議にも(?)何のおとがめも受けなかったそうです。とにかく生き延びた野々村は、政宗の連絡係を務めることとなって、そのおかげで政宗は猫をもらえた、と考えられなくもありません。

政宗の手紙がなぜ、島根にあるの?

記事の最後になってから書き出すのも少々気が引けるのですが、なぜ、仙台藩初代藩主・政宗の手紙が島根県の博物館に所蔵されているのでしょうか。

島根県立古代出雲歴史博物館によれば、政宗の手紙は、松江藩出身であって、美術品・古文書収集家だった桑原羊次郎(1868年‐1955年)という人物が所有していたものとのことです。桑原が亡くなった後、昭和40年代に入って、島根県が彼の遺品を譲り受けた際、その中に政宗の手紙も含まれていましたが、そのまま長年保管されました。

桑原家は代々、松江藩の両替商を務めた豪商でした。参勤交代により江戸に滞在した藩士が、桑原家へのお土産として錦絵を買って帰ることが多かったなど、桑原家には昔から美術品が集まってきたようです。桑原羊次郎は特に古文書の研究に熱心だったため、国内各地の資料を収集していました。そうした流れで、仙台市周辺からも書状を入手する機会があったと考えられます。
なお、桑原は、文化人としての功績が認められ、島根県文化功労者、松江市名誉市民にもなりました。

猫を見て「かわいい」と感じる心は、時代が移ろい、人々の暮らしが変わっても、きっと同じ。そんな気がしました。

仙台市泉区の「いずみペット霊苑」では、犬・猫をはじめとするペットの火葬から、納骨、供養まで、スタッフ一同、心を込めてサポートいたします。毎年3月と10月には、合同慰霊祭を開催して、多くの方々に参加いただいています。
仙台でペットの火葬のこと、お墓のことをお考えの方は、「いずみペット霊苑」までお気軽にご相談ください。

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【参考文献】
〇 桐野作人, 吉門裕. 猫の日本史 : 猫と日本人がつむいだ千年のものがたり. 増補改訂版, 戎光祥出版, 2024.
〇 渋谷申博. 猫の日本史 : みんな猫が好きだった. 出版芸術社, 2022, (出版芸術ライブラリー ; 017).
〇 吉野仁士. “「独眼竜」が猫にデレデレ? 書状が伝える意外すぎる武将の一面(Sデジオリジナル記事)”. 山陰中央新報. 2022-02-06, 山陰中央新報デジタル.
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/159624, (参照 2025-09-15).